年末年始。
すっからかんの数日間。
どうして過ごそうかな。ぼんやり。
雪山を歩いていました。踏みつけた雪の足跡がずーっとついてくる。自分の服の擦れる音がうるさくて、悲しくて、どこかに紛れ込みたくなって、札幌行きのバスにのりこみました。
ふらふらと(つるつると)足を泳がせて、たどり着いたのが、waya。
焙じ茶みたいな木の壁の隙間から、あたたかな光。笑い声がきこえる。夜の森をあるいててホタルを見つけたときみたいに、ふわぁって心が照らされた。ちょっとドキドキしながら扉をあけると、なんだかいい香り。大晦日だから手巻き寿司するよーって。軽やかな空気をまとった人たちがJazz の音楽を奏でるみたいに会話してる。
気づいたら、わたし、盛り付け担当。あれれ?はじめましての人たちと、紅白みながらお蕎麦すすって。お餅までたべちゃって。いろんな国の言葉で、それぞれの人生を少しずつ分けあいました。
夜は神社まで追いかけっこ。神さまにご挨拶。お隣のお寺でお経をあびて、ゆるまったきもちでみんなでにこにこしてたら、年越しの瞬間のがして、大慌てでジャンプしたね。
お寺のなかでこっそり教えてもらった鬼子母神さまのおはなしがずっと心を離れません。
朝方、みんなでこたつで眠ったね。
このとき私は、喜茂別のゲストハウス雪月花廊でスタッフをしていたのですが、
(雪月花廊。それはそれは素敵な宿。なんだろう、ずっと昔に書いたけれど出さなかったお手紙とか、好きだったキャンディの包み袋とか、髪留めとか。想い出たくさん詰め込んだお菓子の缶の宝箱みたいなところ。)
そんな話をしていたら、waya スタッフのみんな、年明けにわざわざ休みとって、雪月花廊まで遊びにきてくれました。わあ。
旅のなかで交わされる約束って、その瞬間のためというか。どこか、カタチのない幻想、ぎゅって結んだら枯れてしまう、そういう美しさにしがみついているようなところがあるから、きてね、行くよって言いあって、ほんとうにきてくれたこと、わたし結構びっくりしたの。
ころげまわって、雪まみれになって、遊び尽くしたね。子どものころ頭のなかに住まわせていた仲間たちが、ほんとうの姿で会いに来てくれたみたいだった。
冬の重たい空から太陽がさして、川面がきらきらってした瞬間でした。
wayaに集って、交わって。信じようと思いました。いろんなこと。自分の中の小さな声に耳を澄まして、ほんのりと触れた感覚にからだを委ねると、出会わなくちゃいけない人に出会わせてくれる。もう会えなくても、ちゃんとここにいます。
今はみんな別々のところで、それぞれの星を集めてる。わたしひとり迷子だけど、どこかにもひとり迷子がいるって知ってるから、ちょっと生きられる。枯れそうになったら、またひとりぼっちを持ち寄って、一瞬だけ、ぎゅってぬくもりを分けあおうね。
すみれ